第5回 中編:ベッドではいつも死んだふり!ある患者さんを通して学んだ関係構築と反省【岐阜保健短期大学 リハビリテーション学科 作業療法学専攻 特任教授・作業療法士 原 和子 先生編】

――先生がこれまでに対応された中で、難渋された事例があればお聞かせください。 可能でしたら、その解決方法も。

たくさんあります。けれど、最終的に上手くいくと、とても楽なことであったような気がしてしまって、あまり「苦労した」という風な記憶には残らないんです。

振り返った時には、そのように感じてしまうと。

はい。逆に、最終的にも上手く行かなかった方はすごく記憶に残っています。

例えば、重度の片麻痺の方。ある大学の獣医学部の教授でした。養鶏の専門家で、「光を当てると鶏はよく育つ」ということを発見された方です。その方の研究のおかげで、現在、鶏小屋は全国的に夜でも光を照射するようになっています。

そんな高名な方を担当されたのですね。

はい。けれど、その方は病室では目も開けないし、看護師さんの言う事も聞かない、何もしないという方で。皆さん、対応に困っていたんです。もう、何を言われても死んだふりをしているんですよ。

死んだふりですか(笑)

そう。作業療法室に来た時もそんな感じでした(笑)

ですが、私も鳥が好きなもので、つい熱心になってしまって。「鶏の研究をなさっているんですか?」と話を振ってみたんですよね。そうしたら、いつもは目を閉じて死んだふりをしている教授が目を開けたんです。それで、「僕が研究してきたことを教えてあげる」なんてお話になりまして。わざわざ家族に電話をして研究別刷を持ってきて、毎回、鶏に関する講義を私にするわけです。

作業療法室に、片麻痺改善の訓練をしに来られるのではなく、講義をしに来られるんですね(笑)

はい(笑)

私はそれを聞きながら、学生の立場を演じるわけです。「ははあ、なるほど」などと相槌を打ちながら。実際、興味深いお話なんですよ。鶏の様々な生態を聞きながら、こういう生き物の研究をするのって、面白そうだな、楽しそうだなと羨ましく思ったりして。それで、お話に乗りに乗ってしまいました。

先生ご自身もですか?

はい。私も乗ってしまって、その教授もどんどん乗ってきて、人が変わったように活き活きしていました。けれどその後、病棟に戻ると、また死んだふりをしているんです。

ベッドの上では、療法を受けないと(笑)

そうなんです。で、しばらくしてご実家に戻られることになったんですね。けれど、最重度の麻痺ですから、家屋改築が必要になりまして。どんな風な改築をしようか……と教授と二人でお話をしました。可能な限りトイレを近い場所に、いっそ自室に備え付けてはどうか、とか。そうしたら「もう家も古いから、この際、全体を建て直そう」と教授は仰いました。ご自分のお部屋に、使いやすいトイレやお風呂などを備え付けるのがいいだろうと、そして鶏小屋を作ろうと。

お部屋に鶏小屋ですか?

いえ、庭に鶏小屋を作って、自分のベランダから直通できるようにしよう、ということでした。レグホンなど様々な種類の鶏を、一ペアずつ大学から譲り受けて、つがいで飼いたいと。もう大学をお辞めになることが決まっていたので、退職金で家を建て直して、自宅で研究を続けたいと。「それはいいですね」と、二人でノリノリで間取りを作って盛り上がりました。

夢のマイホーム設計ですね(笑)

はい(笑)それで、奥様が来た時に「最近、こういったことをご主人とお話しているんですよ」と患者さんの楽しそうな様子をお伝えしたんです。けれど、奥様は「うん、うん」と、あまり気の入っていないお返事をされていました。で、満を持して新しい家が建った。「普通の家」でした。奥様は、ご主人の要望を汲むことなく、鶏小屋はもちろんバリアフリー設備もない「普通の家」を建ててしまわれたんです。

最重度の麻痺にも対応していない家ですか?

そう、ごく普通の家。だから、教授が退院してご自宅に戻られても、鶏の研究が出来ないどころではなく、ご自身の生活も介護を受けながらでないとままならないものになりました。

なんと……。

一ヶ月ほど経った頃、外来で病院にいらしてまたお会いしたのですが、その時にはもう、最初の頃と同じように、声をかけても目も開けないような状態に逆戻りしていました。もう、死んだふりというか、ほぼ生きる気力をなくしてしまった状態で。

好きなお話で盛り上がった時に取り戻した、せっかくの生きがいや情熱が、また失われてしまったのでしょうか。

もう、生きる希望がないという感じでしたね。教授、そして鶏研究のための脳内回路で、やっと生きる気力を保っている状況だった。それが、自宅に戻ったらどちらの回路もなくなってしまったわけです。あとはただただ、介護生活ですよね。重度の麻痺だから、介護が必要なのは仕方がないけれど、せめて研究対象と接し続けていれば、ご自身の能力を発揮できたと思うんですよ。その患者さんとは、それきりになってしまいました。

奥様は、本当にご主人についてのお話をなさらない方でした。今、彼女の心を想像してみると、「もう、うちのお父さんはこの先長くないから、要望を聞かなくてもいいや」という感覚だったのではないかなと思います。

ご家族が、そういう構え方だったのですか。

確かに健常な方からしてみれば、「息子がこの家を継ぐのに、そんなバリアフリーの部屋なんて作ってどうするの。部屋の中にトイレがあって、車椅子で入れて、とそんな設備が必要になりますか。ニワトリなんぞ飼ってどうするの、臭いわ。ベランダにスロープ作ってどうするの」……と、そういう感覚ですよ。そんな要望を、私は、患者さん側の立場で伝えるだけ伝えて、受け止める側の奥さんの気持ちまでは配慮していなかった。

セラピストとしては、患者さんだけでなく、ご家族とももっとお話をして、「家族の考え」「キーパーソンの考え」を深く知るべきだった。これが最も印象深かった実例ですね。

直接対処するとなると、どうしても患者さんに目が行きがちになりますよね。大事なことだと分かってはいても、周囲までフォローするというのは、中々大変だと思います。

そうですね。神奈川リハビリテーション病院に在籍していた当時は、皆、患者さんのことしか考えないでデザインをしていたなと思います。


 (次回へ続く)


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