――増田先生が、これまででいちばん悔しかったこととは何ですか?
長くセラピストをしていると、臨床において悔し涙を流すことも多いのではないかと思いますが。
悔しいことも、嬉しいこともありますよ。理学療法士になって1 年目は、担当した患者さんが退院するときは必ず泣いていました。周囲からすると鬱陶しかったと思います。「また泣いてるよ」って(笑)
僕は、嬉しい、悔しいを仕事で感じない人はだめだと思います。自分なりに取り組んで、結果によって嬉しい、悔しいと感じることは凄く大事。どれだけ優秀でも能力だけではだめです。理学療法士の魅力は、嬉しい、悔しいを感じる情熱だと思うんです。
悔しいなあと思うことは日常的にあります。
「挫折」と言い換えてもいいようなことも起きますね。
まず、1つケースを挙げると、私が理学療法士になって 1年目のとき、長下肢装具を使うことになったんです。今はリバイバルしていますが、当時は古いものを動かすような、歴史の遺物といった感じでした。先輩の提案で、ある患者に対して長下肢装具を使ってトレーニングをすることになりました。
複数の理学療法士で試みたんですね?
はい。ところが私が介助をしたときだけ、「あなたがやると歩けない」と言われたんです。温和な患者さんだったのですが、ほかの理学療法士がつくとできるけど、私だと歩けないと。
ああ、そんなふうに言われたんですか。
それはもう、ショックで。萎縮してしまって、そこから先は関係性を築いていけませんでした。だから、患者さんとの間に最低限の信頼関係を築くには、もっともっとスキルアップしていかないといけないんだと痛感しました。
ショックだったけど、印象深い体験だったと。
そうですね。あと、自分のスキルではどうしようもなかった経験もあります。70代の女性で脳卒中の患者さんを担当したときです。30代の息子さん家族と同居されていた方で、オペをしてもうすぐ退院、帰宅かなというときに、息子さんが脳卒中で倒れて、同じ病院に入院して来られたんです。
30代の息子さんが脳卒中に?
お母さんは大ショックで、精神的に落ち込んできてしまいました。「お母さんだけでも先に退院させよう」という話が出始めたところ、息子さんが急変して亡くなってしまったんです。当然、お母さんの精神状態は下がり、いちばんきつかったのはお嫁さんでした。
そうですよね……。
お母さんは、脳卒中の後遺症で失語を起こしていました。お嫁さんは、お母さんの意思をうまく聞き取ってあげられない。小さいお子さんがいて、旦那さんが亡くなってしまった。そこにお母さんが退院して来るとなると、当然、混乱します。そんなご家族を前に、私にできることはお母さんのことだけでした。歩行機能の改善で得られるものも大きいですが、そこから先はどうしたらいいのかなぁと。
理学療法士の技術や知識とは、少し違うところの問題ですからね。
あるとき、病院の近くでお嫁さんに偶然会ったんです。会ったとたんにお嫁さんの目から涙がこぼれて、「私、どうしたらいいんでしょう」と泣かれて。当時は私もまだ若かったのですが、年下の私に泣きつくくらい、この人は追い詰められているんだと。涙ながらの訴えに対して、どう応えたらいいか、わかりませんでした。この人は何も悪いことをしていない、これから先の人生で、この人が当たり前の喜びや幸せを感じて生きていくために、自分ができることがどうしてないのだろうと、悔しさを凄く感じた出来事です。
人は、どうしてこんなに苦しい思いをして生きないといけないんだ、 と僕は思うんです。どうにかしてあげたいと思っても、その人の人生ですし。
死ぬのは怖いですか?
そうですね、人は誰でも、いずれは死ぬと思っていますけれど。自分の命に執着して、周りの人を振りまわすようなみっともない状態になるのは怖いですね。猫みたいに、縁側の下でひっそり死にたい。
私、「人間の致死率は100%」という養老 孟司 先生の言葉を聞いて、雷に打たれたような衝撃を受けたことがあります。この世の中で100%普遍的なことがあったと。
この世の中で100%確実なものがあるのは凄いことだと思って、「バカの壁」(新潮新書)などの養老先生の本をたくさん読みました。それとは別に、先日、日野原 重明 先生の最晩年を診療された医師のインタビューを読んだんです。日野原先生は、一生に1回しか経験できない死に向かうプロセスを、凄く客観的に観察している感じだったそうです。
達観されてたんですね。
ひと筋に生きて達観した方は、人生の最後をそんなふうに迎えられるんだなあと思いました。
最後に増田先生、後進の方々と言いますか、若い世代の皆さんに何かメッセージをいただけますか。自分の未来を理学療法士の仕事に託せずにいる若者もいると思いますので。
やっぱり、詰まるところは「人と人」だと思っています。知識や技術が足りないことに甘んじていいわけではないですが、不足を補おうとする努力、自分という一個の人間を丁重に扱おうとする姿勢は、必ず伝わるものです。そういった姿勢を維持して、「あなたのこれから先の人生について、真剣に一緒に考えます」と患者さんに約束できる理学療法士には、絶対に未来があると思っています。
(了)
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