【第56回 日本リハビリテーション医学会学術集会 参加レポート①】専門職特別講演10「今、求められる作業療法士とは?」中村 春基 先生(一般社団法人日本作業療法士協会・会長)

今回より特別企画として「第56回 日本リハビリテーション医学会学術集会」にて開催された

講演のレポートを数回に分けてお伝えします。


今回は一般社団法人日本作業療法士協会・会長 中村 春基 先生が登壇された

専門職特別講演10「今、求められる作業療法士とは?」についてレポートいたします。


文責:張本 浩平(理学療法士・株式会社gene 代表取締役)

JARM2019 参加レポート① 

専門職特別講演10「今、求められる作業療法士とは?」

中村 春基 先生(一般社団法人日本作業療法士協会)


私がプロとして講演を聞くときに大切にしている視点がある。


どんな表情で臨床をしているのかを想像できるかどうか


なぜ、それを大切だと私自身が考えているのか私にも説明ができない。

ただ、直観的にどんな顔・表情をしているのか想像できると嬉しくなってしまうのだ。


中村先生のご講演はまさにそういった講演であった。

どんな表情で患者さんと関わってきたのかがみえるお話であったのだ。


上手く言えないが、中村先生の講演はそういったことを感じる講義であった。


講演の中で、最初のテーマはこのことから始まった。

『作業療法士の現在は法律の定義と合っていないのではないか?』というお話だ。



1 作業療法の定義について


一般社団法人 日本作業療法士協会は平成30年に独自に作業療法を再定義した。


『作業療法は、人々の健康と幸福を促進するために、医療、保健、福祉、教育、職業などの

領域で行われる、作業に焦点を当てた治療、指導、援助である。作業とは、対象となる人々

にとって目的や価値を持つ生活行為を指す。』


というものである。理学療法の定義と対比すると非常に面白い


理学療法は

「身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため、治療体操

その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他の物理的手段を加える

ことをいう」

というものが法律上の定義である。お気付きであろうか?注目するべきはその目的の所である。作業療法の目的は『人々の健康と幸福を促進するために』とあり、理学療法の目的は『主としてその基本的動作能力の回復を図るため』とあるのだ。

ここで実は理学療法と作業療法が単純に並列関係ではないことが読み取れる。日本での理学療法と作業療法の違いが論争になるのは、このいわば、ねじれのような関係にある方法論があたかも兄弟のように同じ法律で括られたために生じているのではないかと考えた。


作業療法はその目的の中に、幸福という非常に哲学的な概念を含んでいるのに対して、理学療法は回復というどちらかというと、計測可能なものを目的にしている。


理学療法は純粋な回復のためのツールであり、作業療法は人間が幸せになるためのツールだと言い換えてもいいかもしれない。


どおりで作業療法士の先生には、人間的魅力が溢れる人が多いはずだ。毎日毎日、人間の幸せとは何か?と向き合ってきたのだから。


理学療法と作業療法の違いは、食塩で説明できるのかもしれない。塩化ナトリウムは、食塩の本質であり、客観的事実であり、広く人間に説明することができる。ただ、その塩味とはなにか?といわれてどれほど客観的事実を並べても塩味はわからない。

どうすればいいのか?簡単だ、舐めればいいだけである。

その体験はその人にしかわからないことであるが、どれほど言葉を並べても伝わらない。


中村先生の作業療法の定義のお話を聞いてそう感じた。対象となる人々にとって目的や価値を持つ生活行為というのはそういったことだと思う。


そして、それは客観的でもないし、共有できないかもしれないけど、とても意味のあることだ。

作業療法は存在そのものが幸福なのだ。講演を聞きながら理学療法士の私は少しだけ、作業療法士が羨ましくなった、たぶん少しだけ。


2 生活行為向上マネジメント(MTDLP)についてのお話


日本作業療法士協会が強く力を入れていることについてのお話があった。

実は、この生活行為向上マネジメントの中の興味・関心チェックシートは私自身訪問の場面で頻回に活用している。すいません、理学療法士なのに……

スクリーニングとしてとても使いやすい。

生活行為向上マネジメントについては、個人的に非常によくできたツールだと思っている。ケアプランとの整合性まで意識して作製されている。

そして、協会を上げて研修と習熟を行い、データを集めているとのことであった、大切なことだ。どれほど切れる包丁があったとしても、素人が使っては美味しい料理を作ることはできない。それは、包丁の問題ではなく調理をする人の問題だからだ。

データに関しても同じようなことが言える、よく解釈論でたくさんの対立が生まれるが基本となるデータがないのに解釈だけで議論が進むことがよくあるのだ。

まずは、データ、のちの解釈。


3 中村先生の臨床の経験と言葉について


実は、私自身、先輩の真剣な臨床の話が大好物である。何時間でも聴いていられる。珠玉の言葉が沢山あった。きっとそれは、言葉自体の力ではなく、中村先生がおっしゃった言葉だから力があるのだ。何を言うかではない、誰が言うかなのだ。

『退院は生活のスタートライン』という言葉があった。そうなのだ、そこから始まるのだ、患者さんの本当の生活は……それは時に大変なことも沢山あるし、理不尽なことだって沢山ある。ただ、患者さんが何かしてみたいといったときに成功するか失敗するかではなく、体験すること自体が成功なのだと講演を聞きながら理解した。


それを中村先生は別の言葉で言い換えた『可能性を引き出す』と……

本当にいい言葉だ、可能性を引き出す、本人に可能性が存在していることを前提にその言葉がある。

人間の可能性を否定しないのだ。体験しなければなにも始まらない。そして私たちはその何かを体験するということを全力でサポートする仕事なのだ。


そしてセルフマネジメント――自律を支援するという言葉もあった。病院でパジャマのままリハ室でリハを行うのではなく、病棟で着替えてから行うようにすればいいじゃないかということである。それは、色々な体験を通じて自身の課題と向き合う時間をつくり、そして一緒に課題を共有する作業になると私は理解した。

そう、自立も大切であるが、自律も同じくらい大切なことだと思う。自分のことを理解して、強みを活かすこと、それはおそらく色々なことを経験しなければ成立しないのであろう。


全体を通じて、中村先生の講演が、人間愛に溢れるものだった。臨床の話をしていないときでも担当した患者さんの経験がにじみでている。臨床で悔しい思いもたくさんされたのだろうと勝手に想像してしまう。ただ、きっと中村先生が担当した患者さんは幸福だったと思う。


自分の中の臨床熱が目を覚ました講演でした。中村先生ありがとうございました。