――スポーツ障害に関心を持たれたきっかけ、特に関わることになったエピソードを教えてください。
高校生時代、バレーボール部に所属して試合に出場していました。その試合中、レシーブをした際に左膝がガクッとなり、動けなくなってしまったんです。
すぐに病院に行きましたが、なんとオペが必要な事態に。しばらく調子が良く、試合にも出られるようになった時期であったので、とてもがっかりしたのを今でも覚えています。
先生ご自身がスポーツ障害を経験されていたのですね。そこで良いリハビリテーションを受けて、この道を志されたのでしょうか。
ところが、その病院には理学療法士がいなかったのです。ドクターから言われたメニューをこなしていただけであったため、筋力、そして可動域も十分に改善しませんでした。
このため、復帰はしたもののジャンプ力や敏捷性は低下。思うように動けない身体に、バレーボールを辞めようか、と思う時期もありました。
――日本体育協会公認アスレティックトレーナーとなるまでの道のりを教えてください。
金子先生は日本体育協会公認アスレティックトレーナーでいらっしゃいますが、公認アスレティックトレーナーとなるために意識して行ってきたことはございますでしょうか。
恥ずかしながら、理学療法士として仕事をはじめたときはアスレティックトレーナーの資格があることを知らなかったんです。神奈川県の冬季国体スケート競技のトレーナーとして関わらせていただいたときに、お世話になったドクターから、スポーツに関わる資格は様々であることを教えていただきました。
色々な資格の方々とお話しさせて頂く中で自分の足りない点を痛感し、「アスレティックトレーナーの勉強をしたい」そして「資格をとって、より選手から信頼されるセラピスト&トレーナーになる」と心に決めました。
けれど、アスレティックトレーナーの資格はまず各都道府県もしくは中央競技団体から推薦を得て講習を受けなければなりません。
なので私は、さまざまなスポーツの学会で発表したり、スポーツクリニックや病院にお願いして見学しに行ったり、国体のトレーナーを継続するなど、出会いと経験を大切にしました。その中で、お世話になった先生方から日本体育協会の推薦をいただき、講習会を受けてアスレティックトレーナーの資格を取得しました。
資格取得と、その先の目標のため、こつこつと努力を積み重ねてこられたのですね。
金子先生は臨床においても多くのご経験をお持ちかと存じますが、その中で特に難渋された事例や、そこから得られた学びなどはございますでしょうか。
すべてが難渋であったと思います。簡単な症例の方はいません。私は常に意識しているのは「対応すべきは疾患ではなく人である」ということです。これを忘れて疾患で対応すると、改善しているがパフォーマンスが上がらない、他部位を壊してしまうなど、弊害が出てきてしまいます。
なるほど。症状を改善することにばかり意識して、肝心の患者さんや利用者さんに目を向けなくなってはいけないということですね。ともすれば疾患に注意が行きがちですが、すべてのセラピスト・トレーナーが常に念頭において臨みたい言葉です。
ほか、先生がこれまでに担当された中で特に印象に残っている出来事などはございますでしょうか。
印象に残っていること……考えると、色々なことを思い出します。
やはり、どの選手も、怪我から競技復帰し試合に出て、活躍している姿を試合会場やテレビで見られたことが一番印象的ですね。試合後にメールを頂いたりお礼を言われたりすると、スポーツの面白さや、やりがいを実感します。
――最後に、アスレティックトレーナーを目指すセラピストや、若い学生に向ける言葉をよろしくお願いいたします。
私はスポーツ選手に関わる際、「なぜそのスポーツ障害が起きたのか」をメカニズムだけではなく様々な情報をもって伝えるようにしています。選手自身の身体特徴や、その動きを続けているとどの部位に負担がかかってきてしまうかなど原因をしっかりと理解させ、リハビリテーションやコンディショニングを行います。
原因を伝えないまま行うと、リハビリテーションやコンディショニングの意義が伝わらず実りあるものにはなりません。これでは復帰後、セルフコンディショニングをするにあたっても、何を行うべきか選手自身が選択できず、再び怪我をしやすい身体となって、選手生命も縮めてしまいます。
ぜひ、原因を明確に伝えられる、そして的確な目標設定のできるセラピスト・トレーナーになってください。
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